仕事柄、様々な教室におじゃまする機会があります。
「このクラス、なんだか素敵だな」と感じる場合、ほぼ間違いなく子供たちで交わされる言葉がいきいきとしています。
友達の考えに興味をもって聞いています。まさに、対話を楽しむ集団です。
一方、残念ながら、対話に価値を実感できず、先生に指示されたからといった理由だけで言葉を発し合う教室に出会うこともあります。
「発し合う」のであり、「交わされる」のではありません。
そういった集団で顕著に見られるのが、“イイトオモイマス症候群”等と私が批判してきた姿です。
すなわち、互いの発言を認め合っているようで、実は耳を傾けず、心も開いていない状況です。
このようなやりとりに留まっていては、「対話的な学び」を通して「深い学び」に至ることは難しいでしょう。
むしろ、学びの楽しさも味わいにくいかもしれません。
また、友達がいてくれたから豊かに学べたという実感に基づいた「新たな関係の編みなおし」をしていくことも期待しにくいと思われます。
しかしながら、対話を楽しむ教室をつくることは簡単ではないことも、ご周知のとおりです。
それは、個人の能力を高めれば対話が豊かになるというわけではなく、むしろ、集団として育てる必要があり、学級の文化として醸成させていくことが大切だからでしょう。
私自身、かつて小学校教員だった時代に、前年度まで学級崩壊といえる状況だったクラスを担当したことがありました。
その年度は、やっと対話らしくなってきたのが2学期以降で、1学期の4か月間はセーフティな空間づくりと聴き合う態度を高めることに粘り強く取り組んできました。
しかし、この経験やその後の共同研究者との取り組みを通して、「どんな学級でも、指導を積み重ねれば子供たちの対話は高められる」ということを確信するようになりました。
また、それと同時に、クラスの対話を豊かにするための手立ては、教科の指導法のようには明示的になっていないのではないかと感じ始めました。先生方はそれぞれに工夫されているのに、それを学び合えないでいるのはもったいないという思いが強くなってきました。
そこで、本会「対話のある教室をつくる会(通称:対話の会)」は、国語科の授業を中心としながらも、範囲を少し広げて、教室の対話を豊かにするための取り組みを共有することを目的として立ち上げることにしました。
対話の練習やゲームを紹介するのでもよいですし、読むことや書くことの学習等で対話が活性化するための発問や展開の工夫を発信していただくのも面白そうです。
また、仮にうまく対話が起こらなかった事例であっても、何が影響したのか、どうすれば改善できそうか、をみんなで考えていければ、互いの学びとして共有することができそうです。
様々なアプローチが交流されることこそ、豊かな実践知の獲得にとって大切だと考えています。
子供たちの対話を豊かにし、関係づくりと学習に活かしていきたいと願う先生方、ぜひご参会ください。
お待ちしています。